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2017/05/14

芸術と商業の対立は外国では意外に起きないもの

初めてお試しで海外出品する参加者へ、作品決めの段階で「こうした方がよいかも知れません」と、私案を述べておくことが増えました。作風の完成度を高めるにはどうするかの方向で、こちらが率先して案を出すこともあります。

要は芸術度を高める方向ですが、それが商業主義とぶつかるような混乱は起きていません。映画にたとえるなら、社会問題を告発するシリアス路線を、ファミリー向け娯楽映画へとまとめ直すようなことは、美術作品では不要だからです。

というのは、美術は一点売れば済むし、映画のように万人向けに仕立てて興行成績を上げたりは不要で、最大公約数をカバーすることは考えません。芸術性を下げた代わりに商業性を高めるという、妥協的な引き換えの発想はいりません。ポピュラリティーを加える量が小さくてよく。

参加希望者の作品は、もっと商業方向へ引っ張っても創造性は損ねないと考えています。言い替えれば、独り合点のマイナス面を持つ作品が、国内に多いということかも知れません。そのマイナス面は、ほとんどの場合で何かの不足です。過剰ではなく不足の方。

不足しやすいのは簡単に言えば見せ場で、音楽で言うサビの盛り上がりが抜けている作品が多いように感じます。これは国内の空気のごとき忖度を受け、目立たない地味な方向へ作品が引っ張られるからではないかと。

「その絵はだめでこっちがよい」と日本で誰かが偉そうに言う場合、必ず主張が薄い作品が推奨されます。濃い作品をすすめるケースは皆無といえるほど。薄味にする説教がまた始まったかと。こうした間違った指導で欠けた何かを、価値観が逆の外国向けに加え直すことが多いのです。
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