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2017/07/01

現代アートが一般化しないで特殊化している日本

この頃こちらでよく使う語に、一般化と特殊化があります。たとえば、日本でよく話題になった現代アートフェスティバルです。過疎の地方で、アートを核としたまちづくりイベント。テレビやラジオのトレンド特集ニュースになり、現代アートが街を復興する推進力となる話題でした。

しかし冷静に考えると、ニュースの文脈は地方都市の衰退と、対する東京一極集中です。人類史上最大の都市圏トーキョーにヒト・モノ・カネを集結させる政策で、当然の成り行きでさびれゆく地方郡部が生じ、奥の手として現代アートとタッグを組んだ印象です。現代アートのUターン?。

これを特殊化と呼ぶ根拠は、日本国内で現代美術は今も特別ゲスト扱いされ、たとえば1960年代の「読売アンデパンダン展」から地位が上がっていない点です。現代アートが最近になって台頭してきたみたいなマスコミ扱いですが、半世紀前の現代美術の方が盛り上がっていました。

現代アートは欧米では一般化していて、日本では特殊化しています。日本では日々の暮らしの中に現代アートはなく、あくまでもスペシャルイベントでの出番です。家庭などの身辺に現代作品は見当たらず、遠くへ出向いて出会える棲み分けです。要は、珍しい出し物という地位のままなのです。

街づくりにアートを使った行政と民間イベントは、実はバブルより前の1980年代に大流行しました。雑誌『ブルータス』の頃。鉄道駅前に銅像やステンレス彫刻をどんどん置いた、いわゆる「彫刻のあるまちづくり」もその一環でした。後に彫刻は撤去され、今は減っていますが。

最近の現代アートが過疎の町へ集まるのは、その昔アートの街づくり推進に関わった者からみて、「実を結ばずまたスタートに戻っている」という話です。現代美術は、昔も今もニューカマーのまま。あの頃より都落ちして、地方へ追いやられたみたい。これが特殊化です。ドイツでは現代アートは都市の日常に溶け込み、田舎に隔離されないのに。
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