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2017/09/06

サッカーとアートで誉めたりけなしたりの切り換え

サッカーチームが大活躍をみせたかと思えば、次の試合で不調の体たらくをみせる展開は、各国の全チームで起きています。それに対してイタリアの記者は、試合ごとに良い選手をベタ誉めし、次回に悪いと言葉を尽くしてけなします。

その切り換えが、日本では理解されない空気があります。ネットの意見をみると、「前回はあんなに持ち上げたのに、今回は冷たいね」「てのひら返しがひどい」「見物人は勝手なことを言う」「愛がないなら見るな」の声がよくみられます。

「現代のベートーベン事件」「STAP細胞事件」の騒ぎでも同様でした。「あれほど称賛したのだから、今になって叩くなんてひどい」という意見が多かったのです。上げるだけ上げてから、どーんと落とすのは悪い行動だと言いたげな、観衆への嘆きと冷やかしです。「君らはどっちやねん」「態度が矛盾している」と。

この嘆きと冷やかしに潜むものは、縁故社会の度合いだと感じます。好調時に称賛したら味方同士の関係になり、味方なので不調を見逃してやれという人情があるのです。つまりほめるだけの味方と、けなすだけの敵の、二種類にきっちり分かれる前提で考えているのが日本式なわけです。

これは往年の社会学的考察にみる、ムラ社会性が疑われます。ひいきの関係で回転する、お友だち内閣とか政府の諮問委員会みたいに、無批判のスルーが好き。そうした縁故重視に対して、イタリア方式の日本人も増えたのかも。今回の試合という「新作」だけを採点して、過去の名作を評価に混ぜない感覚が日本にも増えた。

何年か前にゴッホ作とされる絵が見つかり、ショボい出来でした。ゴッホらしさがない習作です。世界の美術館は、アートは内容が大事だとして低評価を意思表示しました。ところが日本の関係者が高く落札して、アートは内容よりネームバリューなのだと世界に意思表示しました。
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