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2017/12/05

日本で現代美術が一般化できない原因は売らない前提か

日本には美術の一般市場がないせいで、現代アートフェスティバルは市街地で開催されず田舎へ向かうのか。市民社会と切り離されたオタク文化の内輪で、珍世界の存在意義を保つ。この現代アートの冷遇構造をつくった犯人は誰でしょうか。

たぶん単にニワトリとタマゴと思われ、いざ売らんとした時のウリの少なさが新しい原因でしょう。作者は最初から出し物と考え、売り物と考えないから、作品にウリがない。実際「過去にドイツで売れた作品はこれこれです」とサイトを示すと、一定数の参加辞退があります。作品のハードルが高めだと感じるらしく。

美術家が自分の思いで作るのには慣れていても、売るには慣れていないと考えられます。それも当然で、日本の公募展覧会は販売禁止のコンテストが大半なのです。お客が見るだけに制限された展示だから、作者も見せるだけの想定で考え、他人が買わない範囲で作る。

「我が家に飾るため、無名の作品を買いに来ました」というお客は、ドイツには多く日本には少ない現状です。作品と鑑賞者のこの関係が、独日アートの隠れた大差です。買って友人に自慢したくなるおもしろい絵画が、日本にはできにくい構造といえるでしょう。ひとりよがりという言葉は使いたくないのですが。

見るだけのお客には何だって通用し「いいね」が返ってきても、買う前提のお客だと通用する範囲があるでしょう。展覧会イコール売買マーケットのドイツでは、作品がウリの華を持っていて当たり前になります。市販音楽CDの曲づくりと似て。

売れる作品を商業主義として、芸術への冒涜とみる傾向が日本にあります。ゴッホやモディリアニなど売れなかった画家への敬意も、原因であり結果でもあり。美の常識への挑戦や既成の概念超えより、心休まる作品に話題が集まってくる。しかし買う立場にすればウリがない。
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