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2018/07/03

ワールドカップ2018のベルギー戦の「たられば」

ベスト8進出への決勝トーナメント、日本対ベルギーは世界から強い関心を持たれました。16カ国中、ヨーロッパ10カ国、中南米5カ国、アジア1カ国と、ポツンとひとつ混じった特別ゲスト状態で。その日本は試合内容で個性を発揮できたので、文化芸術にもつながればよいのですが。

苦悩する日本が奇跡的に勝ちかけて世界は仰天し、苦悩するベルギーが奇跡的に逆転勝ちする、サッカー漫画にありそうな展開でした。あるいは『あしたのジョー』みたいな。このミラクル結果が大量の「たられば」を誘い、諸説が出回っています。

「ああやっていたら勝てた」「こうやっていれば上に行けた」の仮説が、SNSに林立しています。そんな中「もし日本の監督を替えなければ、16位で止まらず4位まで行けた」という意見もありました。それに対し「たらればは言うだけ無駄」と反発する意見が多いのです。

終わればもう始まらない、というのが反発する理由です。さらにこう続きます。「前監督が指揮すれば、そもそも全敗し32位で終わっていたはずだ」と。出たあー。他人の「たられば」は空想無用と否定し、自分の「たられば」は通す。勝つ証拠がないように、負ける証拠もないのに。

人は仮説を心の支えにするものなのか。仮定で出した結論を証拠として、次の結論を固める思考が世界中にみられます。いわゆる論理の飛躍というやつ。願望と我欲の世界。

「たられば」は画家の作風選択でもいえます。作風が複数あった場合に、果たしてどれで行けばよかったかと悩みます。一回売れないだけで失望し捨てた画風が、実は生涯には正解かも知れないし。逆に大売れして、スジを読み違える失敗もあるわけで。
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