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2019/02/12

ポスト・トゥルース時代の事実と真実と

最近きちんとしたネット記事で、気になったのはこの主張でした。「ある言い方をする人は信用できない」「それは事実はひとつだと言う人である」「事実がたったひとつだなんて怖いことだ」「世に事実がひとつしかないのは危険だ」と。

ちょっと待てよという気がしました。それも言うなれば「真実はひとつではない」のことではないかと。事実はひとつです。事実を言葉に表した真実が、複数あるというのが本当ではないか。この執筆者は、言葉を取り違えたのではないか。

まず世間一般では、「真実はひとつである」という言い方がよく出ます。たとえば殺人事件で、容疑者が真犯人であるのかないのかという場面です。検察側と弁護側が真っ向から対立すると、「真実はひとつ」の言い方が市民からよく出ます。

学問の世界ではその言い方は否定され、「誰々の真実」として考察されます。つまり真実は学説のようなものです。そして事実はひとつとする。ということは、事実という語は言葉表現ではなく現象そのものを指すのだと、学術の世界で諒解されているわけです。

殺人事件でいえば、容疑者は家を出た時に刃物を持っていた、前日に近くの店で買った包丁だというのが事実です。その事実は神のみぞ知る絶対的な現象であり、人間にとっては抽象概念のような存在です。事実を文章化すると真実となり、人それぞれの言葉だから真実は論者の数だけあるわけです。

アメリカのトランプ大統領就任の頃から急に言われ出したポスト・トゥルースは、嘘が支持され主流になる現象として話題になりました。マスコミが主流側にいる点が今日的です。ただしポスト・トゥルースの語もまた、嘘で得する側が論敵を封じる殺し文句に多用されます。「あなたはヒトラーだ」と似た使い道。
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