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2019/02/21

自分の傑作に気づかなかった音楽家ビリー・ジョエル

先日亡くなった世界的ジャズ評論家の児山紀芳は、前にフィル・ウッズが亡くなった直後のジャズ番組で、冒頭に突然ポップソングをかけました。ビリー・ジョエルの『素顔のままで』。リチャード・ティーのフェンダーローズエレクトリックピアノで始まり、間奏部のアルトサックスが世界有数の歌伴で知られるあれ。

そのバラード曲をビリー・ジョエル本人は不要と思い、ニューアルバムから外すつもりでした。ところが、別曲の録音にも加わったシンガーソングライターのフィービー・スノウが、「それを入れないのは信じられない」「おかしい」と簡単に許さなかったという。

アルバム『ストレンジャー』(1977)にやむなく入れた『素顔のままで』は、不発続きのビリー・ジョエルの一発逆転ホームランとなったのは知られるところ。あの時代の音楽風景ともなるこの一曲で、次の『ニューヨーク52番街』の大ヒットは約束されたのでした。

自分の最高傑作を本人がそうは思わず引っ込めるのは、音楽では割とよくある現象です。クラシック音楽でも「なぜこの曲を放置するのか」と、楽譜を見た他の作曲家が初演して表に引っ張り出した名曲があります。

この時ビリー・ジョエルが自分に忠実なら、伝説はなかった。思いを曲げたから伝説になった。この現象は、美術家のサイトでも起きていると感じます。作者自身が自分の感覚に忠実にサイトを作ると、『素顔のままで』を欠いた自己紹介に陥ることがあるから。

美術家が一人で好きに作り、孤立している生涯のイメージは、音楽文化とくらべて悪い傾向だと思えます。交流なしでは埋もれる。ただし、こんなことはさすがに好ましくないでしょう。美術家仲間で持ち回りで審査員になり、お友だちの輪で受賞を配分する「上から方式」とか。閉鎖系でなく開放系が伝説になるもの。
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