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2019/10/21

写真は芸術かという日本的な思想心情

写真は芸術なのかを議論するサイトでは、写真と芸術の屈折した関係が読めます。多いのは、写真は真を写す記録だから思想が入らず、芸術表現に当たらないという意見。これは芸術の原点に絵画を置き、くらべた写真に不足があるから芸術失格とする主張です。

でも絵画史に詳しい人は、この考えを持たないでしょう。カメラの原型はギリシャ時代にあり、写実が目的だったから。本命は写真術の方であり、19世紀に感光用の湿板ができるまで記録メディアがなくて、しぶしぶ手作業で妥協したのが絵画史です。大昔からカメラがあれば、絵なんて不要だったのが現実です。

写真こそが原点でした。現代の具象画でも、画家は絵具箱やイーゼル持参でなく、カメラを持参して撮影取材します。その写真をアトリエで絵に置き換えるのが画業であり、抽象画さえもが抽象写真を見てのインスパイアが多い。

議論で興味深いのは、「芸術は押しつけがましいから」という不思議な論法です。写真を愛するゆえに、芸術表現にカメラを使わないで欲しい、写真の素晴らしさを芸術の名で汚されるのは困るという意見です。どう反応してよいのかわからないほどの、アンチ芸術的な論です。

写真は芸術かという議論の場に、芸術的な表現行為をいやがる意見が異口同音に出てくるのです。写真には芸術になって欲しくない願望というか。芸術から遠い写真が好きで、芸術写真は嫌いという意思。芸術を敵と見立てています。

もっと興味深いのは、「そもそも芸術の定義など存在せず、何を芸術と定義するかで答が変わる」という主張。そんなわけはなく、芸術の定義が空白なのは日本だけです。歴史名作は全て創造性が高く、芸術の第一義は創造だとの永遠の答が昔からあります。結論。創造に否定的な日本人が多すぎ。
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