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2019/10/26

日本の村祭りとハロウィン祭の絵になる構図|美術は地域文化そのもの

最近、祭りを描いた絵画に関わり、日本の村祭りは反グローバリズム的だと感じました。国際化にはインターナショナルとグローバルがあり、前者は国境が前提で、後者は国境を消すので、民族差別が逆に激しくなり闘争が続いた歴史があります。過去のグローバリズムでも、反動の武力衝突が起きたものです。

地域の祭りは民衆のエネルギーが結束し、郷土の共同体を形成するから、ナショナリズムの動きです。祭りと芸術は出発点が似ています。祭りの絵のモチーフはお祭り騒ぎのにぎわいや盛り上がりですが、同時に影が感じられるのが特徴です。

子どもの頃の村祭りや町祭りを思い返しても、華やかな中に物悲しい余韻がありました。明るく楽しい遊園地とやや違い、かげりがあった記憶があります。祭りの絵は古代の霊的な気分をも誘い、絵に描かれた子どももレジャー参加とは違う雰囲気です。

祭りの動機が、農作物の収穫を天に感謝することと、亡き先祖を思い偲(しの)ぶことだからか。祭りのしるしを始めデザインビジュアルに古色が含まれることも、メランコリックなエレメントとして大きいでしょう。絵画に描かれる物品もまた、多少でも神秘的な意匠が選ばれているし。

今年もハロウィン祭の季節です。日本のハロウィンでは、お化けたちは子どもにお菓子を配らず。成人のゾンビ仮装を経て、ムシャクシャ発散とヤケ酒騒動にそれたみたいな。これもデフレ不況の傷心と、荒廃した国民感情の一面でしょう。暴力を規制緩和し、テロも表現の自由だとするグローバリズムらしさか。

ところで祭り気分の絵をかけば、より芸術的な作品になる理屈で、ハロウィン祭のイメージ画はどう描けるのか。小学校で課題にすればカボチャの記号化にモチーフが集中し、カボチャ顔の競演になりそう。
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