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2020/10/13

大阪都構想で知られた東京都23区の成り立ち|シティ情報のうんちく

バブルの1987年より前から、80年代は好景気でした。インフレ率は最高8パーセントで、バブルの3パーより伸び伸びした明るい社会でした。その頃書店で流行ったのが、『シティ情報』など東京から全国へ波及した地域情報誌でした。

江戸と東京ブームの中で、23区の成り立ちにも触れられました。日米戦争の開戦は1941年12月8日、終戦は厳密に1945年9月2日。それらの中間1943年の戦時中に東京市は解体され、23区の特別区へ格下げされました。

虎の子の東京市をつぶした理由は、陸軍が直轄して資産を召し上げる目的でした。当時の全国の県知事は、国が派遣した部下でした。東京府知事が東京市を強制支配し、東京市の民主政治を封じて占拠したかっこうでした。

23区へ落ちると当然経済は不調で、インフラ整備が区で分かれ、にっちもさっちもいきません。だから今でも世田谷区や千代田区は、東京市に戻すか、単独でも政令指定都市への格上げを希望し、しかし都が断固として反対するから無理。解体後に戻すセカンドチャンスは閉ざされます。

東条内閣の暴挙といえる東京都構想は、戦後のある国策と交換条件に、罪がつぐなわれます。東京一極集中と呼ばれる、日本のメインテーマです。現時点で人類史上最大の都市は東京圏で、地方から人・物・金を集めてきた歴史です。今も集め続けるひとつが、有力企業の本社です。

あおりを食ったのが大阪であり、二重行政など無関係です。東京23区は国立施設が集積し、円の通貨発行と政府財政出動で不景気に強い。民間銀行の信用創造(GDPの原資)も大きい。そこで大阪都構想はドルと人民元に助けを求め、市営インフラを民営化とPFIで外資へ資産移転する1998年式の再来です。いわば香港化。
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