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2021/03/11

宮城や福島の津波で考える基本の基本は何か|東日本大震災10年

日本美術をドイツで展示するイベントの前身は、2010年の展示から始まりました。翌年に東日本大震災。活動の中にも被災と社会問題が入ってきました。当時スマホやカメラ撮影された動画が多くあり、かなりの量を毎日見たものです。あれから10年ですが、「基本」の重みを感じます。

今では細かいエピソードがネットにあり、亡くなったケースや助かったケースで、あらゆる思いが噴出しています。全てに共通するのは、ひとつの大きい無念です。「あの時は基本を知らなかった」「だからしくじった」というもの。

小学校や幼稚園が典型で、大地震が起きたので児童を各家庭へ帰そうとしました。先生と生徒が行列したり、送迎バスを出した幼稚園もありました。それらのひとつずつに理由と必然性があり、あの時は適切な判断だったのでしょう。しかし一番の基本が多くに抜けていたのでした。

「津波というものが、ああいうものだと初めて知った」「今では知っているから、もうしくじることはない」「しかしあの時は名称だけを知っていた」「全員が高台にいたのに、帰宅させようとわざわざ低地へ降ろしてしまった」。「わざわざだと今なら言えるのは、正体を見て知った後だから」。

日本の貧困化も似た知識不足の恐ろしさです。日本経済の低落と国全体の貧困は、自国通貨の量を故意に削減して起きています。円を発行してばらまけば正常に戻る簡単な話です。IMFや欧州中央委員会は、新型コロナ恐慌で世界大戦を再度起こすまいと、造幣とばらまきで飢え死にを防ぐ積極財政を宣言済みです。

ところが日本ではほとんど知られません。知識がないと大地震後に低地へ降りてしまう、それが日本経済でも起きています。所得喪失で路上生活になってもあきらめない男性と違い、女性は列車に飛び込んでいます。知らない人だけが集まり知恵を出し合っても、その集団はコロナ恐慌の波にのまれて死んでしまうのです。
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